商 号
会社創業
株式会社に改組
資本金
住 所
電 話
Fax
事業所
業務
所属団体
尼崎印刷株式会社
昭和18年6月
昭和23年5月
50,000,000円
〒661-0975 尼崎市下坂部3丁目9番20号
06-6494-1122(代)
06-6495-2360(G4)
阪急阪神百貨店 梅田阪急 印刷コーナー
印刷業務全般(組版、製版、印刷、製本)、封入封緘業務、発送 業務
大学出版部協会 賛助会員
大阪グラフィックサービス協同組合 会員
1943年
国策により市内6社が尼崎印刷の名称のもとに、北大物町の尼崎紡績の社宅地に創設される。
1945年
終戦直後、尼崎印刷の解体案も検討されたが、田治一三が尼崎印刷を買収する。
1948年
尼崎印刷が株式会社となる。初代代表取締役は田治一三。資本金150万円。
1952年
工場からの出火により全焼するも、数ヶ月後に活字鋳造から印刷・製本に至るモデル工場として新設された。
1957年
田治一三死去。長男の田治一雄が代表取締役になる。
1960年
田治一雄、交通事故で死去。一雄の姉の岩田侑子が社長代行として実質的に経営する(登記上の代表取締役は岩田侑子の夫)。
1967年
田治一雄・岩田侑子の弟である田治彌一郎が代表取締役に就任。
1968年
活字専業からオフセット製版・印刷を導入。手動式写植機による文字組版に着手する。
1971年
東洋インキ㈱による富士通電算写植機の出力センター「日本コンプ」に参加し、本格的に頁物組版のオフセット化に取り組む。
1973年
北大物町の所在地に1,485㎡の鉄筋コンクリート3階建を新設する(後の尼印ビル)。
1981年
電算写植機の社内導入の検討を重ね、モリサワ・ライノトロンを導入。6月より活字組版の作業者全員も新しい職場に参加し、翌年2月、20数トンの活字を全廃する。
1986年
編集処理技術を学ぶべく富士通のIPSを導入する。
1987年
ライノトロンを㈱モトヤのビデオジャムシステムに移行する。
1988年
西ドイツ(当時)製印刷機「Roland REKORD」を1990年までに3台導入。
1990年
さらに上位機種、トレンドエースに移行して、画面上での編集技術(フロントエンド)を確立する。
1994年
50年以上の所在地であった北大物の地を離れ、市内北部下坂部に新たな社屋を新設する。
2000年
組版設備を住友金属の”エディアン”に入れ替える。
2001年
イメージセッタFTR-5055を導入。
頁物の自動面付けを実現。
2008年
アグファゲバルト製CTPセッター「AVALON-LF」を導入。現像レスでCTP出力を運用する。
マン・ローランド製印刷機「Roland702 HiPrint」を導入。頁物印刷への特化を図る。
2011年
㈱モリサワ製組版システム「MC-B2」を導入。その後、後継システム「MC-Smart」に入れ替える。
2014年
㈱小森コーポレーション製印刷機「LA-37」を導入。1988から稼働していた「Roland REKORD」は全廃。
2015年
富士フイルム製CTPセッター「AVALON-LF」を導入。無処理版での運用。
2016年
田治宏敬(彌一郎の長男)が代表取締役に就任。